おうみブログ
近江学研究所研究員が、近江にまつわるさまざまな情報を発信するブログです。
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5月1日、甲賀市の油日神社で5年に一度行われる祭礼『奴振り(やっこぶり)』を見学してきました。
『奴振り』は参勤交代の大名行列で奴たちが個性的な歩き方をして見物者を魅了したことに由来し、日本全国各地の祭礼で演じられています。滋賀県でも各地で行われており、油日神社の『奴振り』は県選択無形民俗文化財に指定されています。
油日の奴振りは祭主である頭殿(とうどう)が油日神社に参内する時に従うお供の行列が原型になっており、当時地元で勢力を誇った上野、高野、相模、佐治、岩室の五氏の参内の様子がこの祭りの始まりであるといわれています。
室町時代に現在のかたちになり、明治以降は5年に一度行われています。東と西を結ぶ街道にあたるこの地域には、多くの物資と人が行き来し、豊かな文化が栄えました。今回、この『奴振り』を見学してその名残を十分に感じました。
油日神社の近くには櫟野寺(らくやじ)という天台宗の古刹があり、伝教大師が彫刻したと伝えられる十一面観音座像を特別に拝観することができました。
他にもここには約20体の平安期の仏像が収蔵されており、古代から独創的で真似できない高度な文化が根付いていたことを確信しました。
報告:附属近江学研究所 研究員 加藤賢治
草津川の上流、鶏冠(けいかん)山、金勝(こんぜ)山、竜王山と連なる山々は金勝アルプスと呼ばれ親しまれています。その中でも中心となる竜王山に登ってきました。
近江には竜と名の付く山や地名がたくさんありますが、これは農耕と結びついた水の神である竜にまつわる信仰によると考えられています。その代表である竜王山には、かつて栄えた仏教文化の遺物が多く残され、また、山頂付近には風化した奇岩があらゆるところに露出するという神秘的で特異な風景を醸し出しています。用意されています。
魅力たっぷりの登山路は大津市上田上(かみたなかみ)の上桐生のバス停から始まります。
はじめに待ってくれているのが砂防ダムとして明治15年にオランダ人の手によって建設された「オランダ堰堤」。近代建築の遺産として大切に残されています。
次に現れたのが通称「さかさ観音」呼ばれる磨崖仏です。巨岩に彫られた三尊形式の磨崖仏が何らかの力によって壁面がずり落ち逆さの位置で落ち着いたものです。
そこを過ぎ、第二名神高速道路をくぐって山に入っていくと、狛坂廃寺跡に出ます。そこではかなり古い年代を感じさせる堅牢な石垣と、「狛坂磨崖仏」という県内で最も著名な磨崖仏に出会いました。奈良時代に遡る作風であるとされていますが、様相が日本独自のものとは異なり、朝鮮文化の影響を強く持っているため、じっくりとこの磨崖仏に対峙すると、異国の山林に迷い込んだ錯覚に陥りそうです。
そこを後にして、山頂を目指します。徐々に風化した奇岩が見え始め、山頂への分岐点を過ぎると、茶沸観音と呼ばれる岩に刻まれた可愛い石仏と対面しました。そこから山頂までの間に重ね岩と呼ばれる摩訶不思議な自然造形物を見ることが出来ました。
いよいよ山頂です。山頂付近には八大龍王をお祭りする小さな祠があり、この龍王に因んでこの山を竜王山と名付けたと考えられています。
そこから尾根筋を真っ直ぐ歩くと「金勝寺」(こんしょうじ)に至ります。今回はこの奈良時代から伝わる古寺まで足をのばさず、来た道を戻って鶏冠山に繋がる尾根道を早足であるきました。途中に眺められる奇岩・巨岩はかなりのもので、中でも「耳岩」や「天狗岩」は特に大きく、目を引きます。
この日は天候が悪く、帰路についたと同時に雷雨に遭い、ずぶ濡れになりましたが、この日見たものはすべてが新鮮で魅力的でした。おかげさまで調べものが増えました。
成安造形大学附属近江学研究所 研究員 加藤賢治
今日は大津から足をのばして、今NHK大河ドラマで話題の浅井三姉妹の史跡を訪ねてきました。
はじめに米原町柏原宿近くの清瀧集落にある近江源氏佐々木京極家の菩提寺清瀧寺徳源院を訪ねました。
ここは浅井三姉妹の次女初(はつ)が嫁いだ京極家代々の墓があることで有名です。
位の高い人の墓石である宝筐印塔がこれほど多く集まっているのは全国でも珍しいとのこと。
初(はつ)が嫁いだ大津城主京極高次の墓もありました。
徳源院を後にして、「江・浅井三姉妹博覧会」を開催している小谷城趾を目指しました。
姉川の古戦場を過ぎ、小谷城の手前にある「浅井・江のドラマ館」に入りました。
場内は多くの観覧者で中々前に進めない状態でしたが、大河ドラマの解説が解りやすく展示されており、大河ファンにはたまらない施設だと感じました。
続いて小谷城趾を目指しました。
登り口近くの有料駐車場は満車寸前。少し離れますが無料駐車場に車を止め小谷城本丸を目指しました。
桜の馬場と呼ばれる史跡では、ドラマでお市と三姉妹が竹生島と琵琶湖眺めるシーンと同じ風景を見ることが出来ました。感激です!
本丸の手前には浅井長政をはじめとする小谷城の攻防で戦死した武将を供養する供養塔がありました。
約500年程前の出来事ですが、今その場所にたつとその時がついこの前のことのように不思議と短く感じました。戦国の世をたくましく生き抜いた三姉妹。大河ドラマの楽しみがまた一つ増えました。
成安造形大学附属近江学研究所 研究員 加藤賢治
上仰木の江若バスのバス停から徒歩1分のカフェ&ギャラリー「キマッシ」に行ってきました。
仰木の古民家を改築したカフェは昭和レトロを意識した内装で、ちょっと昔の骨董品であふれています。
かつては縁側であった大きな窓からは仰木の棚田や遠くは琵琶湖や三上山を眺めることができます。
店内には手作りパンを販売するコーナーもあります。
メニューは飲み物が中心ですがカレーや丼など趣向を凝らした軽食も用意されています。ゆっくりと時間がながれ、店内のお客さんはおしゃべりする人、本を読む人それぞれのスタイルでくつろげます。
今日は午後のひと時、頭を空にして来年度の楽しい計画の構想を練ってきました。
営業時間 土日祝(平日休み)12:00〜18:30 駐車場有り
URL: http://kimassi.main.jp/
成安造形大学附属近江学研究所研究員 加藤賢治
1月15日(土)午後2時からピアザ淡海(大津市におの浜1丁目)で『近江の祈りと美』出版記念講演会があり、参加してきました。昨年末に出版されましたこの著作は近江学研究所学外研究員の一人である滋賀県立近代美術館学芸課長の高梨純次先生と近江学研究紀要の挿入写真でお世話になっています写真家寿福滋先生のお二人によるもので、寿福先生の近江の仏像の写真を中心として、高梨先生がその仏像の解説とともに近江の仏教文化の特色を語られています。
講演で高梨先生は「近江は数量の面からも仏像の宝庫であり、また古代中世の銘文が入っている秀作も多く、質が高いと評価されている。そして、それらの仏像は霊峰比叡山など宗教施設に集中するのではなく、湖南や湖北に分散されており、近江の宗教史をひも解くカギにもなる」と近江の仏像の特色を語られました。
寿福先生は「光と影」と題して講演され、仏像に限らず写真を撮るに際しては光のあたり方が重要で、有名な湖南の「狛坂磨崖仏」の写真を例に挙げられ、光のあたり方が上からと下からではまったく違った表情になると解説されました。また、「祈りという視点でいえば暗いお堂の中でろうそくの明かりに照らされる仏像は常に下からの明かりに照らされ、「祈り」という信仰のシンボルとして仏像を被写体とする時は、下からの光を意識します」と述べられました。
その後、お二人を囲む会が開催され多くの関係者が祝福の辞を語られました。
近江学の研究には欠かせないお二人のますますのご活躍を祈念申しあげます。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
講座名:フェノロサと近江
日 時:平成22年12月4日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英館三階 聚英ホール
講 師:福家 俊彦(園城寺執事長)
明治期の日本に西洋美術が流入し、日本美術の価値が低迷した状況下で、日本の「美」を再発見し、その興隆につとめたアーネスト・フランシスコ・フェノロサ(一八五三〜一九〇八)。彼は生前三井寺法明院住職桜井敬徳と出会い強い影響を受け、今もこの三井寺法明院に静かに眠る。この日は三井寺執事長の福家俊彦先生にフェノロサの活躍について語っていただきました。
福家先生はフェノロサが明治十五年五月に東京上野で行った『美術真説』という講演を取りあげ、彼の思想を紹介されました。フェノロサはその講演で西洋絵画と日本画を比較して日本画を再評価したこと、「美術」への愛好心と鑑賞眼の育成や優れた画家を育てることを目的として美術学校設立の必要性を訴えことが評価され、その後、日本美術振興のパイオニアとして活躍したと話されました。
三井寺には国宝の非公開建築物「光浄院客殿」「勧学院客殿」があり、貴重な文化財を保護しながらできうる範囲で一般に公開するという日本美術の「粋」を啓発する活動を続けられていますが、湖都大津と日本の「美」をこよなく愛したフェノロサの意志がこのような取り組みに受け継がれているように感じました。
本研究所の紀要『近江学』創刊号・2号に続き、2011年1月頃発売予定の第3号でも、多数の写真を提供して頂いている寿福滋さんの個展が、本日より成安造形大学のギャラリー成安にて開催されました。
「山への祈り 繖山百日回峰行」と題したこの展覧会は、繖山百日回峰行を主題とした作品を集めた企画展示となっています。
臨場感のある美しい写真と、さまざまな趣向が凝らされた展示空間も見所です。
まるで山の中にいるような雰囲気を楽しめます。
ぜひ、この機会にご高覧下さい。
タイトル:山への祈り -繖山百日回峰行-
会期:2010年11月26日(金)~12月18日(土)
時間:12:00~18:00
休廊:日曜日
会場:成安造形大学 ギャラリー成安
出品者:寿福滋(写真家)
主催・企画:成安造形大学・附属近江学研究所
寿福 滋(じゅふく しげる)氏プロフィール
1953年神戸市生まれ。中学生の頃、埋蔵文化財に興味を持ち、その後文化財カメラマンをめざし、森昭氏に師事。関西を中心に美術・文化財、風景写真を専門に撮影。大塚遺跡(横浜市)、平等院庭園(宇治市)、雪野山古墳(東近江市)、市町村史等の撮影多数。成安造形大学附属近江学研究所紀要『近江学』(2009年・2010年)、『花鳥遊楽ー湖西の風に吹かれてー』(甲西町1993年)、『近江と芭蕉』(大津市役所2003年)の写真を始め、滋賀の風土を記録。ライフワークとして杉原千畝の取材を続けている。
主な著書
『杉原千畝と命のビザ』サンライズ出版 2007年
『京都・滋賀 かくれ里を行く』(滋賀の写真撮影)淡交社 2005年
秋晴れの11月21日(日)、成安造形大学教育後援会のOBG会である「楽波会(さざなみかい)」の日帰り研修旅行が行われました。この会の研修旅行は毎年この時期に行われており、昨年、一昨年、に続いて今回と私加藤が案内役を務めさせていただきました。
参加者は会員さん18名と事務局畠山主管、高野主査、蓑輪さん総勢22名で、この日は、会員様からのリクエストで福井県福井市の越前朝倉氏一乗谷遺跡を訪ねてきました。
朝9時にJR大津駅前に集合し、一路越前へ。バス車内では「近江は湖の国・山の国・道の国そして城の国であり、戦国の舞台となって信長、秀吉、家康など戦国の群雄が割拠した・・・」と近江の文化と地形的、歴史的な特色を紹介しました。また、越前朝倉氏が初期の戦国大名の代表であり、城下集住や分国法の制定など朝倉孝景にはじまる朝倉氏の偉業について解説しました。
途中、作家水上勉の小説の舞台となった「越前竹人形の里」で昼食をとり、午後1時に現地に到着しました。現地では有名な戦国時代の城下町を復元した町並みを見学し、その後、朝倉氏の邸宅後といわれる遺跡を見学しました。現地ではボランティアガイドさんの詳しい解説も聞き、大変勉強になりました。
参加者の皆さんは秋の一日戦国時代にタイムスリップし、好天にも恵まれ紅葉も美しく大変満足そうでした。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
『山への祈り‐繖山百日回峰行‐』では、関西を中心に活動し、美術・文化財写真、滋賀県の風景写真を撮影している寿福滋氏の素晴らしい作品の中か ら、繖山百日回峰行を主題とした作品を集めた企画展示を行ないます。
タイトル:山への祈り -繖山百日回峰行-
会期:2010年11月26日(金)~12月18日(土)
時間:12:00~18:00
休廊:日曜日
会場:成安造形大学 ギャラリー成安
出品者:寿福滋(写真家)
主催・企画:成安造形大学・附属近江学研究所
講座名 日本画家から見た近江の風景
日 時 平成22年11月20日(土)10:40〜12:00
場 所 成安造形大学 聚英館三階 聚英ホール
講 師 大野俊明(成安造形大学教授)
江戸時代初期に成立した近江八景に代表される近江の風景を、これまで現代の日本画家がどのように表現してきたのか、数多くのスライドを用いての紹介から講座はスタートしました。池田遥邨・下保昭氏をはじめとする日本画家を取り上げられ、その作風の特徴や制作手法など、長年の知己でもある大野教授ならではの興味深いお話を聞くことができました。
続いては大野教授ご自身のこと。本学が湖西に開校されたことが近江を描くようになったきっかけとなったこと、また琵琶湖や三上山、比良山などをモチーフとする作品やスケッチをスライドを用いて紹介されました。写生を行なう場所探しの苦労や、時刻や季節によってその表情を変える風景のすばらしさなど、個々の作品制作の裏側にも触れていただきました。
現在も近江での取材は進行中とのことで、近い将来、琵琶湖十景というような形でまとめてみたいとおっしゃっておられます。果たして何処がどのように描かれるのか、今から大変楽しみです。
近江学研究所研究員 小嵜善通