近江学フォーラムニュース

近江学フォーラム会員さんのご活躍をご案内します!

近江学研究所では、研究・教育活動、文化振興活動に広く一般の方にも参加いただく目的で、
2009年から会員制の「近江学フォーラム」を行なっています。
本年度は現在192名の会員さんが登録され、会員限定講座などにご参加いただいてます。
会報紙として年2回「近江通信紙」を発刊していますが、
その記事の中で「フォーラム会員の声」として、
お一人づつ、フォーラムに入られた経緯や日々の活動のことなどを紹介いただいています。
そのフォーラム会員の声にも登場いただいたお二人の会員さんの情報をお知らせします!

まずは、長井泰彦 さん
会社勤めをしながら、琵琶湖を中心にした湖国の原風景や四季折々の美しい自然を
撮影される写真家さんです。
この8月より個展を開催されます。
ぜひ、みなさん、足をお運びいただきたいです!
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長井泰彦写真展 『郷・紀行』
期間 2012年8月1日(水)~8月7日(火)
場所 ぎゃらりぃ西利
http://www.nishiri.co.jp/topics/gallery/
   京都市東山区四条通祇園町南側 京つけもの西利祇園店3階
時間 11:00~19:00 (金曜日20:00まで/最終日16:00まで)
電話 075-525-5111
文化・経済フォーラムプロジェクト参加事業
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そして、児玉征志 さん。
第3回たねや近江文庫ふるさと賞最優秀賞受賞作品として
『「びわ湖検定」でよみがえる―滋賀県っておもしろい―』が、出版されました。
2008年に滋賀県に単身赴任されたこときっかけに、
日常の中で、滋賀の文化にふれ、学ばれながら感じ、考えているお姿が、丁寧に語られています。
近江学フォーラムに入っていただいたお話にも触れていただいています。

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シリーズ近江文庫
第3回たねや近江文庫ふるさと賞最優秀賞受賞作品
『「びわ湖検定」でよみがえる―滋賀県っておもしろい―』
著者 児玉征志
発行 新評論 
発行日 2012年6月25日
金額 定価(本体2000円+税)
詳しくは、 こちら
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これからのフォーラム会員さん、みなさんのご活躍を応援しています!

近江学フォーラム会員限定講座 第2回「葛川の太鼓廻し」を開講しました!

 7月21日(土)、第2回目の近江学フォーラム会員限定講座を開催しました。
講師に大津市歴史博物館学芸員で近江学研究所の客員研究員である和田光生先生を迎え、
京都と若狭を結ぶ渓谷に位置する葛川坊村の明王院で行われる
「太鼓廻し」について講演いただきました。


 毎年7月18日に行われる葛川明王院の「太鼓廻し」という行事は、葛川地域の民俗行事であると同時に、比叡山延暦寺で行われる千日回峰行という僧侶の修行の一部でもあるという非常に稀な形式をとる祭礼です。和田先生は、その起こりが千日回峰行の礎を築いた相応和尚(そうおうかしょう)(831〜918)にあるとして、相応の人物像を資料に基づいて解説されました。
 伝承によると、相応和尚は法華経の「常不軽菩薩品」に基づき、毎日花を根本中堂に捧げるという行為を繰り返し、そこから長期間、山中を闊歩することで悟りを得るという回峰行にたどり着いた。その修行の起源は、比叡山ではなく比良山の麓、葛川の坊村「三の滝」で、山中での修行を支えてくれる不動明王を観想していた際、滝壺に不動明王が現れ、それに相応が飛びつき抱きついたところ桂(かつら)の古木であった。この古木で不動明王を彫り、安置したのが明王院の始まりである。

 和田先生はこの伝承が鎌倉時代前期の高僧である慈円によって書かれたと言われる『葛川縁起』によるところが多くあるとしながら、この葛川明王院から比叡山の千日回峰行が始まったという意義について話されました。そして、千日回峰行を行う行者がその通過儀礼として、この太鼓廻しに参加するということ、そして、その行事を葛川地区の住民が支えているという関係性が、この民俗行事の注目すべきところであると述べられました。
 また、先日18日の夜に行われた「太鼓廻し」の写真を投影され、この行事の全貌を臨場感あふれるスライドショーで紹介していただきました。来年の7月18日は是非とも葛川を訪れたいと思いました。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
日時:2012年7月21日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:和田 光生氏 (大津市歴史博物館 学芸員)
今年開催された「葛川の太鼓廻し」の京都新聞の記事はこちら
 

近江学フォーラム会員限定講座 第1回「大津事件の真相」を開講しました。


 今年度第1回目の近江学フォーラム会員限定講座「大津事件の真相 -はたして司法権の独立は守られたのか-」をその研究の第一人者である大津市歴史博物館館長の樋爪修先生に語っていただきました。
 大津事件は、明治24年5月11日、当時日本と緊張関係にあったロシアの皇太子ニコライが訪日中、大津市街地で警備にあたっていた巡査津田三蔵に突然サーベルで斬りつけられ怪我をした事件を言うが、この事件は単なる傷害事件というよりは、津田巡査の罪に関してロシアとの国交を意識し、死刑を求める日本政府に対して法律に基づく公平な判決を下そうとする大審院院長(現在の最高裁判所長官)児島惟謙が法に基づき、政府の圧力を押し切って司法権の独立を守ったという近代法学史上、大変重要な事件とされています。
 この講座で、樋爪先生は事件当日の5月11日から判決がくだされる5月27日までの詳細な記録を資料で示され、大津の裁判所と内閣総理大臣、大審院院長児島惟謙、司法大臣、そして明治天皇までが絡むやり取りを臨場感あふれる語り口で熱く語られました。

 児島惟謙は、ロシア帝国の脅威に屈し、軽傷を負わせただけの津田に対して、当時の刑法を曲げて死刑を宣告すれば、弱小日本を世界にさらしてしまうと政府を説得したというのが定説となっているが、樋爪先生は津田の無期懲役の判決が決定する直前の5月24日に児島が津田の判決をひっくり返すには天皇の緊急勅令を出すしかないと司法大臣に助言を送った電報に注目し、児島は単に司法権を守ったのではなく、深い思慮に基づいて、ロシアの脅威から日本を守るために天皇の勅令を出し、判決を覆す方法を考えるという、本当の意味で日本国を守ろうとした偉大な人物であると評価されました。
 今では大津事件の現場に小さな石碑が一つ残されているだけですが、当時は日本国の運命を大きく左右する大事件に発展したということが樋爪先生の熱弁を通して体感できました。1時間30分という短い時間では、樋爪先生の研究の一端しか聞くことができず、「はたして司法権の独立は守られたのか」という一つのテーマに限られましたが、また、機会があれば巡査津田三蔵の行動や思想についてもお聞きしたいと思いました。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
また、開講のはじめには、木村所長より近江フォーラム会員限定の講座スタートのあいさつが
ありました。

今年は、会員限定講座は5講座を予定しており、
考古学、民俗学、文化史、などの研究者の講演会が続きます。
ご期待ください!
日時:2012年6月30日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:樋爪 修氏 (大津市歴史博物館 館長)

2012年度近江学フォーラム会員募集

近江学研究所の会員制「近江学フォーラム」の2012年度会員募集を開始しました。
滋賀県(近江)の持つ豊かな自然と歴史、文化に対し、興味・関心のある方、ご自身の持っている知識や見聞を深めたい、広げたいとお考えの方は、是非会員にお申込ください。
みなさまの近江学フォーラムへのご参加をお待ちしております。
2012年度近江学フォーラムの期間は、2012年4月1日~2013年3月31日です。
会員は随時募集しております。※途中入会でも年会費は同額です。
 >> 詳しくはこちらをご覧ください

近江学フォーラム会員限定講座「大津絵と三井寺」開講しました

講座名:「大津絵と三井寺」 ―大津絵誕生の母胎―
日 時:平成23年11月26日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英ホール
講 師:福家俊彦 氏(総本山三井寺 執事長)

近江学フォーラム会員限定講座の今年度最終回の講座が11月26日(土)、三井寺執事長の福家俊彦先生をお迎えして開催されました。
講演のタイトルは「大津絵と三井寺」。大津絵の始まりが京都から移住してきた絵師がはじめたというものや、キリスト教禁教によるものという定説に疑問を投げかけながら、三井寺の「別所」がいわゆる宗教的なアジールをつくり出し、自由な芸能活動や庚申講などの民間信仰が展開されるなかで大津絵が発生してきたという新説を提唱されました。
「三井寺別所で醸成された具体的な信仰や芸能は、庚申講、天神信仰、踊り念仏、三井寺説教節、連歌などがあげられ、それらが中世から近世に広がっていった。一方、大津絵の歴史は、今に残されている作品以外にほとんど資料がなく、実態がつかめないが、その残されている作品の画題を見ると三井寺別所で行われていた信仰や芸能に共通してくる。」と福家先生は丁寧に大津絵の発祥についての新説の根拠を解説されました。
参加者からは「天台寺門宗総本山三井寺のイメージは理解しているが、別所という独特の宗教文化を持った場所があったことは驚きである。」「大津絵の発祥のことに興味があったのでよく理解できた。」「今の芸術につながる芸能などの発祥は混沌する自由な雰囲気の場所から自然発生的に生まれるのだということがわかった。」など様々な感想を聞くことができました。

報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

近江学フォーラム会員限定講座「近江のオコナイ」を開講しました

講座名:「近江のオコナイ」
日 時:平成23年10月29日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英ホール
講 師:中島誠一 氏(長浜市曳山博物館 副館長)

今年度第4回目となります近江学フォーラム会員限定講座が10月29日(土)開催されました。今回は「近江のオコナイ」と題して、この研究の第一人者である長浜市曳山博物館副館長の中島誠一先生にご登壇頂きました。
「オコナイ」とは近江の中では湖北地域と甲賀地域に今も伝わる祭礼で、巨大な餅を飾り、造花による飾り付け、乱声(らんじょう)や牛玉宝印(ごおうほういん)の授与など五穀豊穣や大漁、家内安全などを祈願する特徴的な儀礼を行う。また、天台宗との関わりも指摘され、近江に限らず西日本を中心としながら全国に広がっている。など、はじめに「オコナイ」の特徴を詳しく解説されました。
後半はスライドで近江各地の特徴的な「オコナイ」の様子を投影され、飾りの荘厳さや、餅の大きさ、また籤(くじ)や順番で決まった「トウヤ」を中心に厳格に行われる儀礼について臨場感を持って解説頂きました。
近江は宮座の宝庫と呼ばれ、鎮守の森の神社を中心とした祭礼が多く残っていますが、「オコナイ」という仏教色が濃い新春の行事が形を異にしながらこのように残っていることを知り、近江の伝統文化の深さを改めて感じました。

報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

第三回近江学フォーラム現地研修「湖西路をゆく-高島市針江を訪ねて-」を実施しました。

3回目となる近江学フォーラム会員限定現地研修を10月15日(土)に実施しました。H21年の現地研修1回目は湖北に十一面観音を訪ね、H22年の2回目は琵琶湖に浮かぶ4島を船で巡りました。そして3回目となる今年は「湖西路をゆく」と題して高島市を訪ねて研修を行いました。
前日の大雨は峠を越え、曇空ではありましたがなんとか雨は上がり、研修日和となりました。

参加者は50名ということでバス2台に分乗し、10時10分予定通りJR北小松駅を出発。はじめの目的地鵜川四十八体石仏群を目指しました。「四十八体の石仏群は天文22年(1553)に対岸の観音寺城主六角義賢が亡き母の追慕のために建立し、現在そのうちの十三体が坂本慈眼堂に移されています。」と、ここでは木村至宏所長の解説がありました。

バスに戻り、次に「乙女が池」と「大溝城跡」を訪ねました。公園として美しく整備された乙女が池ですが、北陸や若狭に抜ける交通の要衝にあたるこの地には多くの凄惨な歴史が残っています。また、大溝城には話題の浅井三姉妹の次女「お初」が京極高次とこの地に暮らした話などがあり、木村所長や同行いただいた高島市教育委員会の山本晃子さんから説明いただきました。

予定通り11時30分に再びバスに乗車、ここからは見学先の人数制限の関係でA・B2コースに分かれてそれぞれ見学地を目指しました。
午後からの見学は、安曇川泰山寺「ソラノネ」紀伊国屋、中江藤樹書院跡、新旭町針江集落、上原酒造の4カ所です。盛りだくさんで足早になりましたが、予定通り見学できました。

ソラノネでは、針江地区の湧き水でつくられたお米を竃(かまど)で炊いたご飯をおいしくいただきました。中江藤樹書院跡では日本陽明学の祖である藤樹の思想を学びました。針江集落では3班にわかれ、地下約20メートルから湧き出る湧水を利用する施設である川端(かばた)を中心に、それぞれボランティアスタッフに案内していただきました。上原酒造では昔ながらの酒造り「天然酵母山廃仕込み」「木槽天秤搾り」の解説をいただき、伝統の技に触れることができました。

近江学研究紀要「Omi近江学」の第2号で上原酒造や川端(かばた)を取りあげており、午後からの見学はその記事を追うようなかたちで企画しました。
少し昔の暮らしの中には自然の循環があり、かばたに住む魚など人間以外の生き物と共生し、使用するエネルギーを最小限にとどめ、可能な限り再利用するなど、現代の生活に活かさなければならない知恵があらゆるところに見られました。
参加者の近江学フォーラム会員の皆さんから、本当に貴重で大切な話をたくさん聞くことができ、今の生活を見直さなければというような感想が聞けました。

報告:近江学研究所研究員加藤賢治

近江学フォーラム会員限定講座「江戸の里山を歩く」開講しました。

講座名:「江戸の里山を歩く」
日 時:平成23年9月17日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英ホール
講 師:水本邦彦氏(長浜バイオ大学 教授)

近世江戸時代の農村の風景はいかなるものであったのか。浮世絵に見る山の風景は現代のように木々が茂っている山が少なく、土砂山や草山が描かれている。近世農村生活に関する最新の研究成果を京都府立大学名誉教授、長浜バイオ大学教授で本学附属近江学研究所学外研究員である水本邦彦先生に報告いただきました。
 近世農業史や生活史の中に、「草肥(くさごえ)」や「刈敷(かりしき)」という草や小木を利用して農地に栄養を与える農法が見え、当時は草や小木を得るための草山や柴山が農村に必要とされていたことがわかる。また、別の文献からはその草山を巡って争いごとが頻繁に起こった記録も残っている。など、浮世絵の風景にあるように今とは違った風景が江戸時代にあったと述べられました。
 今まで、仰木の棚田や鎮守の森の風景を見ながら江戸時代の風景を追体験してきましたが、水本先生の講演でその考え方を改めなければならないと知らされました。また、江戸時代にも人口が増える時期があり、多くの木々が伐採されると洪水や土砂災害が発生し、人々を苦しめたという史実も読み取れました。
 その規模の大小は別として、いつの時代も人々は自然を改造し、そのしっぺ返しを受けてきたことも今回の報告で改めて知ることができました。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

近江学フォーラム会員限定講座「中世、仏像と人々の時代」開講しました。

講座名:「中世、仏像と人々の時代―銘文から仏像を取り巻く社会を探る―」
日 時:平成23年7月2日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英ホール
講 師:高梨純次氏(滋賀県立近代美術館 学芸課長

平安時代後半(十一世紀)から鎌倉時代を中心として、仏像に記された銘文や胎内納入品の記録などから、仏像を取り巻く社会や信仰する人々の思いなどを考察しようと、日本彫刻史がご専門で滋賀県立近代美術館の高梨純次先生に語っていただきました。
 仏像に刻まれた銘文を読むといつ誰がどこで何のためにこの仏像を制作したのかという様子が分かり、生産性の高い地域である近江の仏像にはしっかりとした銘文が残る仏像が多い。また、近江の中世の仏像には一つの仏像に多くの人名を見ることができる。と中世近江の仏像の概略を語られることから始まりました。
 その上で、延久六年(一〇七四)称念寺の木造薬師如来立像、長承二年(一一三三)善明寺の木造阿弥陀如来坐像、嘉応二年(一一七〇)福寿寺の木造千手観音立像など一一世紀から一二世紀の仏像に多くの人名が見られるが、おそらく仏像を中心として地域社会の血縁が結ばれ、信仰とともにその地域が一つとなっていた証として考えられると述べられました。
 今回の講座で、現代社会においても小さなコミュニティーの存在が重要視されていますが、中世の村落では仏像を中心として固く結束した理想のコミュニティーが存在していたことを知りました。
 
報告:加藤賢治(附属近江学研究所研究員)

近江学フォーラム会員限定講座がスタートしました!

講座名:「近江と渡来人」
日 時:平成23年6月18日(土) 10:40~12:00
場 所:成安造形大学 聚英ホール
講 師:井上満郎 氏(京都市歴史資料館 館長)

近江学フォーラム会員限定講座がスタートしました!

近江学研究所が主催します会員制の「近江学フォーラム」は、おかげさまで昨年よりまして多くの方々に参画いただいております。そのフォーラムの中心的な事業としまして会員限定講座を開講しています。
6月18日(土)はその第1回目の講座が開講されました。全6回ある限定講座のトップは「近江と渡来人」と題して、日本古代史がご専門で京都市歴史資料館館長の井上満郎先生にご登壇いただきました。
講座のはじめに、下にアジア大陸があり上に日本列島が横たわっているという大変珍しい位置関係の地図が紹介され、「このように見ると、日本列島は島国として独立しているというよりもアジア大陸の一部に見えませんか」と問いかけられました。日本海側沿岸部で「貸泉」という中国の貨幣が多数発掘されていることからも縄文、弥生という古代から大陸文化は日本に入ってきており、大陸と日本の間には大きな隔たりがなかったと考えられると持論を語られました。また、今に伝わる文献から見ると古代の国際ルートは朝鮮半島から北陸へ入り、近江を経て山城(京)、大和へとつながっていたことがわかり、近江国はその通り道にあたり、文化が往来し、多くの渡来人が定住、都にもなったと近江の地理的な重要性を強調されました。
最後に、古代の日本の人口に触れられ、当時の渡来人の人口の割合から考えると、現在の日本人もその多くは大陸民族の子孫であるといえると話され、海を隔て遠くにあると考えていた大陸文化を大変身近に感じることができました。

報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

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