近江学フォーラムニュース

寺島典人氏:近江学フォーラム会員限定講座第4回開講

日時:2013年11月16日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:寺島 典人氏 (大津市歴史博物館学芸員)
タイトル:「快慶とその弟子行快-仏師の癖と分業-」

寺島典人氏

寺島典人氏


11月16日(土)、近江学フォーラム会員限定講座の4回目が開催されました。
今回は、「快慶とその弟子行快」と題して、大津市歴史博物館学芸員の寺島典人先生にご登壇いただきました。
新進気鋭の研究者である寺島先生を紹介する木村所長

新進気鋭の研究者である寺島先生を紹介する木村所長


寺島先生は美術史の中でも彫刻史がご専門で、今回は、前段で仏像がいつ頃、誰によって制作されたかを
判定する手段をわかりやすく解説していただきながら、後半は、その中でも非常に多く作品が残る快慶と
その弟子行快について、作風やその判定に関する最新の研究成果を発表していただきました。
はじめに、仏像の基礎知識をプリントで学びました

はじめに、仏像の基礎知識をプリントで学びました


寺島先生は、仏像の顔や、全体のスタイル、衣紋は仏像の制作を依頼する人の意向が反映され、
仏師の個性や特徴が出にくいが、耳や手足、指など造形的にあまり重要でない部分に仏師の癖などが
見られると解説され、最新の研究として仏像の耳を対象にした調査の事例を示されました。
耳のかたちだけですべてが解るわけではないが、仏像を刳り貫いた様子や、その他の造形的な特徴、
そしてそこに書かれた墨書(銘文)もすべて含めて、誰がいつ頃何のために制作したかが
徐々に解ってくるという地道な研究の姿を知ることができました。

今回、寺島先生にお話しいただいた研究内容は、今年の12月に発刊が予定されている
小学館の『日本美術全集7 運慶・快慶と中世寺院』の中で発表されるということです。
その難しい研究内容を丁寧な資料とともに、解りやすく解説いただき、終了後のアンケートにも
「難しい仏像の研究を解りやすく紹介していただき、新しく知ることがたくさんありました。」と
満足度の高い回答がいくつもありました。
報告:附属近江学研究所研究員 加藤賢治 

第五回近江学フォーラム現地研修「琵琶湖から見る近江八景~沖島上陸」開催

近江学フォーラム現地研修 チラシ
10月5日(土)、第5回目となる近江学フォーラム現地研修が行なわれました。
今年のテーマは、「琵琶湖から見る近江八景」と「沖島散策」です。
近江八景については、近衛信尹(1565〜1614)が膳所城からの眺望を和歌で詠み、その風景を八つにまとめたものが「近江八景」であったと証明される資料が昨年9月に研究者によって明らかにされたことを受け、研究所では湖上からその風景を新たに再確認しようとこの企画が立ち上がりました。
そして、沖島については、今年の6月に沖島が湖に浮かぶ島としては初めて「離島」の認定を受けたということで、沖島の歴史や現在のくらしを学ぶため、八景巡りに加えて島を訪問する計画が追加されました。
この日の降水確率が70%と発表されていたにも関わらず、なんとか雨も降らず、時折日差しもさすという天候に恵まれ、76名の参加者を乗せて琵琶湖汽船のエコクルーズ船「megumi」は予定通り10時に大津港を出港しました。

近江八景を解説する木村至宏所長

近江八景を解説する木村至宏所長


加藤賢治研究員

加藤賢治研究員


現地研修の講師は恒例となっている木村所長。進行役はこれも恒例の加藤研究員が担当しました。
出航後すぐの冒頭、所長の挨拶がありましたが、そのまま近江八景の講義へ。木村所長の軽快で明快な解説を聞きながら、三井晩鐘、粟津晴嵐、石山秋月、瀬田夕照、矢橋帰帆、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪の八ヶ所の名勝を船上から眺めました。特に、八景の美しさを詠った近衛信尹の歌と松尾芭蕉の俳句が資料で紹介され、和歌や句を鑑賞しながら、湖岸の風景を楽しみました。
航路
船上から見えた「堅田・浮御堂」

船上から見えた「堅田・浮御堂」


琵琶湖大橋をくぐると、いよいよ沖島です。源氏の7名の武将がこの島に住んだことに始まる沖島の歴史が木村所長によって語られ、加藤研究員が沖島の見所をスライドで紹介しました。沖島小学校前の栗谷港に入港。記念撮影のあと、自由散策となりました。自動車が一台も無く、変わって三輪自転車がいたるところに駐車されているという島の道は狭く、平地に密集する民家の間を散策しながら、神社やお寺を巡り、漁村の雰囲気を堪能しました。
沖島西側のさんばし

沖島西側のさんばし


沖島 西福寺

沖島 西福寺


奥津島神社から (撮影20130827)

奥津島神社から (撮影20130827)


昼食は沖島で水揚げされた湖魚料理です。沖島漁業会館に再集合してお弁当をいただきました。お弁当を前に、漁業組合組合長の森田正行さんをお迎えし、湖魚の料理の説明と、沖島独特の漁業や島民の生活、後継者不足などの島の課題など貴重なお話を聞かせていただきました。
沖島 漁業会館

沖島 漁業会館


森田正行 沖島漁業協同組合長

森田正行 沖島漁業協同組合長


湖魚づくしの絶品のお手製お弁当

湖魚づくしの絶品のお手製お弁当


島を後にして、帰路につきましたが、途中、近江の厳島といわれる白鬚神社と湖上にそびえる鳥居を眺め、そこでも木村所長から近世の白鬚信仰の話など興味深い解説がありました。
船上からみる「白髭神社」

船上からみる「白髭神社」


この日は、雲が多い空模様でしたが、湖面の波は穏やかで、琵琶湖を囲む山々の稜線は霧にかすみながらも確認でき、まさに墨絵のような世界を湖上で体験することができました。四校(現金沢大学)漕艇部の悲劇を歌った「琵琶湖哀歌」やその旋律のもととなった三校(現京都大学)漕艇部に由来する「琵琶湖周航の歌」が船内に流れ、二度と味わうことができない琵琶湖旅情を体感しました。

石丸正運氏:近江学フォーラム会員限定講座第3回開講

会場風景

会場風景


日時:2013年9月28日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:石丸 正運氏 (美術史家)
タイトル:「画人 近江蕪村 -紀楳亭と横井金谷-」
9月28日(土)、近江学フォーラム会員限定講座の3回目を開催しました。今回の講師は、近江学研究所の参与で美術史家の石丸正運氏を講師に迎え、「画人 近江蕪村—紀楳亭と横井金谷−」と題して語っていただきました。
石丸氏は「紀楳亭(1734〜1810)と横井金谷(1761〜1832)は近江ゆかりの文人画家であるが、与謝蕪村(1716〜83)の画風にきわめて近いスタイルで描いた作品を残している。楳亭ははやくから絵俳諧を蕪村に師事して学び、金谷は蕪村に私淑して画業を育んでいる。」と、資料を基にわかりやすく二人の画業を解説されました。
楳亭が京都から大津に移住したのは、京都での天明の大火がきっかけであるが、大津は蕪村のあこがれていた芭蕉ゆかりの地でもあり、風光明媚な自然環境が大きく影響したと大津の近江の美しさが強調されました。また、大津には楳亭の墓所や旧宅の石碑などが残っていると紹介されました。
近世の著名な文人画家を育てた近江の魅力を改めて知る機会となりました。
近江学研究所研究員 加藤賢治
石丸正運氏

石丸正運氏



石丸先生所蔵の横井金谷画の掛軸

石丸先生所蔵の横井金谷画の掛軸

川嶋將生氏:近江学フォーラム会員限定講座第2回開講


日時:2013年7月13日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:川嶋 將生氏 (立命館大学教授)
タイトル:「中世近江の文化環境」
今年度2回目となるフォーラム会員限定講座を立命館大学教授の川嶋將生先生を迎えて開催しました。
講座のタイトルは「中世近江の文化環境」。近江の国は歴史上惣村が非常に発達していたこともあり、惣村文書が多く今に伝えられています。川嶋先生は具体的に菅浦文書や大嶋神社奥津嶋神社文書、今堀日吉神社文書などの記述から、芸能の発達について推考された興味深いお話をいただきました。
特に中世の近江に発展した「近江猿楽六座」や芸能を深く愛した武将である近江源氏「佐々木(京極)導誉」、そして「多賀大社の勧進猿楽や舞々等の芸能」について解説されました。
中世の近江は、「一国の米の取れ高が77万石という全国的に見ても最も豊かな土地であった」こと、「比叡山を背景とした天台旧仏教と新興の浄土系宗派が発展した」こと、そして「京都の東の玄関口として琵琶湖という運河とそれを囲む街道が発展し、交通の要衝であったこと」という3つの重要な要素が、芸能文化の発展の基盤をつくったとまとめられました。
最後に、このように芸能文化を育んだ近江であるが、例えば猿楽や田楽といった民俗芸能の基本的なものが現存せず、その理由も判明していないという大きな課題を残しているとの指摘もされました。
今回の講義で、近江が持つ豊かな水源に恵まれ、全国有数の米どころであり、街道が発達し、交通の要衝であるという特徴が、民俗芸能の発展においても欠かせない条件であったということが解り、「近江学」という学問にまた一つ新たな頁(ページ)が追加されました。

高島幸次氏:近江学フォーラム会員限定講座第1回開講


日時:2013年6月29日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:高島 幸次氏 (大阪大学招聘教授)
タイトル:「近江における起請と鉄火と傘連判」
6月29日(土)、近江学フォーラム会員限定講座の第1回目として、大阪大学招聘教授の高島幸次氏を迎え、「近江における起請と鉄火と傘連判」と題して近世信仰世界の深層について語っていただきました。
高島先生は、冒頭で「昔の人々は神や仏の存在を真面目に信じ、それらを中心に生活を行なっていたと思われがちであるが、科学技術が発展した現代社会の我々の信仰心と少しも変わりがなかったということをお話しします。」と講義のテーマを明確に提示され、興味深い話が始まりました。

高島幸次先生

高島幸次先生


近世に日本全土でつくられた「起請文」については、熊野三山が発行する「牛王符」や「牛王宝印」などに神の名前を書き、誓いを立てるという「起請文」の説明と、水口の宇治河原村と宇田村の争論の仲裁を例に、代官所の役人でさえも村人たちの論争を鎮めるためには「起請文」を書いて神に誓うことを前提にしなければならなかったことが紹介されました。
続いて、火で熱せられた鉄棒を握り、手が焼けただれるか否かで真実を探るという「鉄火裁判」の話がされました。これについても同じく水口の宇治河原村の文書を例に、鉄火裁判を行なえば、手が火傷でただれてしまうという事実は誰もが承知しており、このような裁判は、裁判に至るまでに何日間かの精進潔斎の日を設けて、裁判を行う前に決着をさせるという知恵があったのではないかと解説されました。
最後に訴状において、放射状に署名した「傘連判状」について話されました。通説では、傘のように円状に署名することで、この訴状を書いた首謀者を隠すという意味があるとされているが、史料の中には首謀者の名前が書かれている「傘連判状」があることや、本来一揆などの場合、全員が死を覚悟して取り組むものであり、わざわざ首謀者を隠す必要があったか、また、放射状に署名することで異形の訴状をつくり、神力を得たのではないかという高島説が説かれました。
科学が発展した現代社会においても、我々の生活の中には常に神の存在がある。逆に、近世の村落の中では神の存在を完全に信じていたかどうか疑わしい事実も見受けられる。すなわち今も昔も神に対して疑わしく思いながらも信じているというアンビバレント(両義的)な感覚を持って接していたのである。
今回の講演を聴いて、近世から現代にかけて大きく神の捉え方が変わっているわけではなく、未来においても人間が存在する限り、神の存在が無くなることは無いのだろうと思いました。
報告:加藤賢治(近江学研究所 研究員)

2013年度近江学フォーラム会員募集中!

近江学研究所の会員制「近江学フォーラム」の2013年度会員募集を開始しました。
滋賀県(近江)の持つ豊かな自然と歴史、文化に対し、興味・関心のある方、ご自身の持っている知識や見聞を深めたい、広げたいとお考えの方は、是非会員にお申込ください。
みなさまの近江学フォーラムへのご参加をお待ちしております。
2013年度近江学フォーラムの期間は、2013年4月1日~2014年3月31日です。
会員は随時募集しております。※途中入会でも年会費は同額です。
 >> 詳しくはこちらをご覧ください

フォーラム会員限定講座第5回「石造道標に見る道の機能」を開講しました。

12月15日(土)、今年度最後となる近江学フォーラム会員限定講座が開講されました。
近江学研究所木村至宏所長が「石造道標に見る道の機能」と題して、今年度の最終回を締めくくられました。

木村 至宏 近江学研究所 所長

木村 至宏 近江学研究所 所長


冒頭では、道標研究を始められた時、道標探しに夢中になり、
時間を忘れて帰りの電車が無くなってしまったというエピソードなどを話され、
続いて、道標の形や、背景、意義など詳しい資料をもとに解説されました。

 後半は、調査の際に撮影された道標約20基をスライドで紹介され、
現代の交通標識とは違い、一基ずつにその歴史や物語が見えてくると
道標の魅力を語られました。
 また、道標を中心としながら、街道やその地域に伝わる伝承、
近江商人の活躍など話は多岐に広がり、木村所長の近江に関する知識の深さに改めて感心されられました。
道標の研究は昭和40年代前半から始まり、いわば木村所長の研究の出発点、
すなわち木村近江学の原点と言えるものです。
今年度の締めくくりにふさわしい講義にフォーラム会員の皆さんの顔は満足そうに見えました。

 
報告:加藤賢治
日時:2012年12月15日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:木村 至宏氏 (附属近江学研究所 所長)

近江学フォーラム会員限定講座第4回「仰木・堅田の祭礼」を開講しました。

会員限定講座の四回目として、筆者である私、加藤研究員が今まで取材してきた身近な「宮座」の祭礼について話をしました。「宮座」とは昭和のはじめに肥後和男博士が宮座の宝庫と呼ばれた滋賀県を舞台に調査し、そのかたちを分類しましたが、時間がたつにつれ、そのかたちが変容してきています。
仰木と堅田という身近な集落に付いても例外ではなく、肥後氏の研究では分類できないような宮座が運営されています。
この日は、仰木祭りにおける親村(しんむら)よばれる村座組織の役割や、かつては野神講が行っていた野神祭りの現状など、二つの宮座の祭礼の変化を詳しく紹介しながら、祭礼の現状を報告しました。


日時:2012年11月17日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:加藤 賢治氏 (附属近江学研究所 研究員)

第四回近江学フォーラム現地研修「湖東の古寺を訪ねて」

10月13日(土)恒例となりました近江学フォーラムの第4回目の現地研修を開催しました。好天に恵まれたこの日の研修は参加者53名を迎え、永源寺を中心に東近江市の古寺を訪ねました。
 午前9時20分、JR近江八幡駅南口に集合。江若交通の観光バス2台に分乗し、出発、湖東の臨済宗の名刹永源寺を目指しました。
 10時過ぎ、永源寺駐車場に到着し、愛知川を渡って石段を登り、左手に五百羅漢の石造を眺めながら山門を目指しました。紅葉にはまだ早い時期ではありましたが、その紅葉で有名な山門の前で、開会式を行い、引率の研究員の紹介と木村至宏所長の開会の挨拶がありました。

 その後、一行は本堂(方丈)に入り、臨済宗瑞石山永源寺山田文諒宗務総長からご法話をいただきました。山田総長は短時間でしたが、今の私たちがどのくらいの先祖のもとにつながっているのかという話から、命の大切さや、矛盾に満ちた現代社会における人間の生き方についてのお話をいただきました。

その後、木村所長から当寺の伽藍の説明があり、自由散策となりました。特に県指定の文化財であるヨシ葺きの大屋根を持つ本堂は見応え十分でした。

 
永源寺を出て、すぐそばの昼食会場「ひのや」さんに伺い、少し早い昼食をいただきました。

季節料理「ひのや」 現地研修用に特別メニューをご用意して頂きました。

季節料理「ひのや」 現地研修用に特別メニューをご用意して頂きました。


 昼食後はその場所で、木村所長から午後に訪問する2ヶ寺の紹介がされ、白洲正子の名著『かくれ里』の既述や、今回の石に関連する3ヶ寺のテーマなどについて触れられました。

 午後は予定通り2グループに分かれて、石塔寺(いしどうじ)、石馬寺(いしばじ)、愛東マーガッレットステーション(道の駅)を訪ねました。
 石塔寺ではインドマウリヤ王朝第3代目の王であるアショカ王(阿育王)が建てた8万4千基の舎利塔の一つであるという伝承を持つ国指定重要文化財「阿育王塔(三重石塔)」を中心に何万といわれる石塔が集まる神秘的な風景を楽しみました。

 見事なコスモス畑に囲まれた道の駅「愛東マーガレットステーション」では地元で収穫された農産物が販売され、また、名物のソフトクリームも人気で多くの人でにぎわっていました。

 聖徳太子の忠馬が、石になり池に沈んだという伝承を持つ石馬寺では、国指定重要文化財である藤原時代の「阿弥陀如来坐像」や「威徳明王牛上像」、鎌倉時代の「役行者像」「前鬼」「後鬼」など、大変珍しく貴重な仏様に巡り会いました。

 今回の研修は、白洲正子氏が渡来人と石の文化が栄えるところと紹介したこの地を訪ね、瑞石山永源寺、石馬寺、石塔寺というように「石」の付く寺院を巡りました。各寺院に登りごたえのある石段があり多少疲れも感じましたが、それぞれに見所のある寺院を訪ね、改めて近江文化の深さを知る機会となりました。

近江学フォーラム会員限定講座 第3回「琵琶湖の湖底遺跡」を開講しました。

松井 章先生

松井 章先生


9月29日(土)の近江学フォーラム会員限定講座は「琵琶湖の湖底遺跡」と題して、奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長松井章先生に講義いただきました。
 松井先生は動物考古学、環境考古学がご専門で、特に縄文時代の貝塚の研究を続けてこられました。この日は、1990年に粟津湖底遺跡の発掘調査に参加された時の調査報告を中心に、湖底遺跡の魅力について語られました。
 湖底遺跡は国際的にウェットランドと呼ばれ、湿気によって保たれた湿地特有の遺物が発掘されることで注目され、特に琵琶湖の粟津湖底遺跡は9000年前の縄文早期の遺跡として世界的なレベルの研究報告となった。縄文早期のこの遺跡には陸上の遺跡では分解されて残らない植物性の遺物、特にドングリやトチの実、ヒシなどが良質な形で大量に出土し、層を成していた。これは、一家族が年月をかけて出したものではなく、集落総出で木の実を採取して一斉に皮むき等の加工をしたと考えられる。また、縄文中期の地層からはセタシジミの貝殻大量に出土し、その貝殻の断面から晩夏から初秋に採取されていた事もその調査で解明された。この遺跡の遺物には他の貝塚に見られるように、魚骨や獣骨などが極端に少ないことから、ここが単なるゴミ捨て場ではなく、近辺に集住した人々の共同作業場であったと考えられるとまとめられました。
 講演の最後に、国立の機関である奈良文化財研究所埋蔵文化財センターの所長である松井先生は、文化財レスキュー隊の隊長を務められており、東日本大震災で被災し流出した文化財を探索する任務に従事されているお話がありました。大震災の爪痕はこのように文化財保護の分野にも及び、完全な復興にはまだまだ時間がかるという現状を知らされました。

日時:2012年9月29日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:松井 章氏 (奈良文化財研究所 埋蔵文化財センタ―長)

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