日時:2013年6月29日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:高島 幸次氏 (大阪大学招聘教授)
タイトル:「近江における起請と鉄火と傘連判」
6月29日(土)、近江学フォーラム会員限定講座の第1回目として、大阪大学招聘教授の高島幸次氏を迎え、「近江における起請と鉄火と傘連判」と題して近世信仰世界の深層について語っていただきました。
高島先生は、冒頭で「昔の人々は神や仏の存在を真面目に信じ、それらを中心に生活を行なっていたと思われがちであるが、科学技術が発展した現代社会の我々の信仰心と少しも変わりがなかったということをお話しします。」と講義のテーマを明確に提示され、興味深い話が始まりました。

高島幸次先生

高島幸次先生


近世に日本全土でつくられた「起請文」については、熊野三山が発行する「牛王符」や「牛王宝印」などに神の名前を書き、誓いを立てるという「起請文」の説明と、水口の宇治河原村と宇田村の争論の仲裁を例に、代官所の役人でさえも村人たちの論争を鎮めるためには「起請文」を書いて神に誓うことを前提にしなければならなかったことが紹介されました。
続いて、火で熱せられた鉄棒を握り、手が焼けただれるか否かで真実を探るという「鉄火裁判」の話がされました。これについても同じく水口の宇治河原村の文書を例に、鉄火裁判を行なえば、手が火傷でただれてしまうという事実は誰もが承知しており、このような裁判は、裁判に至るまでに何日間かの精進潔斎の日を設けて、裁判を行う前に決着をさせるという知恵があったのではないかと解説されました。
最後に訴状において、放射状に署名した「傘連判状」について話されました。通説では、傘のように円状に署名することで、この訴状を書いた首謀者を隠すという意味があるとされているが、史料の中には首謀者の名前が書かれている「傘連判状」があることや、本来一揆などの場合、全員が死を覚悟して取り組むものであり、わざわざ首謀者を隠す必要があったか、また、放射状に署名することで異形の訴状をつくり、神力を得たのではないかという高島説が説かれました。
科学が発展した現代社会においても、我々の生活の中には常に神の存在がある。逆に、近世の村落の中では神の存在を完全に信じていたかどうか疑わしい事実も見受けられる。すなわち今も昔も神に対して疑わしく思いながらも信じているというアンビバレント(両義的)な感覚を持って接していたのである。
今回の講演を聴いて、近世から現代にかけて大きく神の捉え方が変わっているわけではなく、未来においても人間が存在する限り、神の存在が無くなることは無いのだろうと思いました。
報告:加藤賢治(近江学研究所 研究員)