おうみブログ
近江学研究所研究員が、近江にまつわるさまざまな情報を発信するブログです。
エッセイ
近江学研究所研究員が、近江にまつわるさまざまな情報を発信するブログです。
エッセイ
日時:2018年4月21日(土)10:50~12:20
場所:聚英館 3階 聚英ホール
講師:西久松 吉雄(成安造形大学名誉 教授、近江学研究所 所長)
タイトル:特別公開講座「杜と地層の風景を描く-近江と西日本」
平成30年度(2018年度)一回目の特別公開講座として、2018年3月に成安造形大学を退任され、4月より名誉教授となりました日本画家西久松吉雄先生の講演を行いました。
80枚にも及ぶこれまでの作品の変遷をたどりながら、先生が地層や風景にどのように理解し作品につなげてきたのか、その制作の背景が語られました。
詳しいご報告は後日更新します。
近江学研究所の吉村俊昭先生が、
次年度成安造形大学の特別プロジェクト演習にて実施する
岡山県瀬戸内市牛窓町にある牛窓神社の大絵馬1枚の複製に向けて、
先日3月24日(日)に行った剥落止めを行いました。
様々な児童文学について総合的に知ることができる雑誌『飛ぶ教室-児童文学の冒険-』。
7月25日発売の300号は、今森光彦特集です!
特集『<生きもの少年> 今森光彦の世界』と題して、
詩人の工藤直子さんの「今森光彦さんの日々にささげるうた」。
脳科学者の茂木健一郎さんと今森さんの昆虫少年談義。
絵本作家のあべ弘士さんの今森さんとの仲良しさが伝わるくすっと笑えるエッセイ。
などなど、
絵本・児童文学好きにはたまらない面々との対談や寄稿などのコラボレーションがされています。
そして、特別付録のフンコロガシ切り絵のテンプレートがついてます!
近江学研究所では、研究・教育活動、文化振興活動に広く一般の方にも参加いただく目的で、
2009年から会員制の「近江学フォーラム」を行なっています。
本年度は現在192名の会員さんが登録され、会員限定講座などにご参加いただいてます。
会報紙として年2回「近江通信紙」を発刊していますが、
その記事の中で「フォーラム会員の声」として、
お一人づつ、フォーラムに入られた経緯や日々の活動のことなどを紹介いただいています。
そのフォーラム会員の声にも登場いただいたお二人の会員さんの情報をお知らせします!
まずは、長井泰彦 さん
会社勤めをしながら、琵琶湖を中心にした湖国の原風景や四季折々の美しい自然を
撮影される写真家さんです。
この8月より個展を開催されます。
ぜひ、みなさん、足をお運びいただきたいです!
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長井泰彦写真展 『郷・紀行』
期間 2012年8月1日(水)~8月7日(火)
場所 ぎゃらりぃ西利
http://www.nishiri.co.jp/topics/gallery/
京都市東山区四条通祇園町南側 京つけもの西利祇園店3階
時間 11:00~19:00 (金曜日20:00まで/最終日16:00まで)
電話 075-525-5111
文化・経済フォーラムプロジェクト参加事業
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そして、児玉征志 さん。
第3回たねや近江文庫ふるさと賞最優秀賞受賞作品として
『「びわ湖検定」でよみがえる―滋賀県っておもしろい―』が、出版されました。
2008年に滋賀県に単身赴任されたこときっかけに、
日常の中で、滋賀の文化にふれ、学ばれながら感じ、考えているお姿が、丁寧に語られています。
近江学フォーラムに入っていただいたお話にも触れていただいています。
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シリーズ近江文庫
第3回たねや近江文庫ふるさと賞最優秀賞受賞作品
『「びわ湖検定」でよみがえる―滋賀県っておもしろい―』
著者 児玉征志
発行 新評論
発行日 2012年6月25日
金額 定価(本体2000円+税)
詳しくは、 こちら
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これからのフォーラム会員さん、みなさんのご活躍を応援しています!
近江屋研究プロジェクトはじまる!
文化で滋賀を元気に!を合い言葉に発足した任意団体、「文化・経済フォーラム滋賀」(代表幹事:木村至宏近江学研究所所長)の取り組みで全国に散らばる「近江屋」という屋号を持つ商店の調査が始まりました。近江学研究所研究員で文化・経済フォーラム滋賀の会員である私、加藤が中心に調査を始めました。
調査はまだまだ始まったばかりで何が見えてくるか解りませんが、「近江」(滋賀県)をキーワードにネットワークを広げていきたいと考えています!
京都新聞記事:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000013-kyt-l25
文化・経済フォーラム:http://www.shiga-bunshin.or.jp/bunkakeizai/
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
5月14日(土)、堅田の国指定名勝庭園と茶室「天然図画亭(てんねんずえてい)」を見学してきました。
この庭園と茶室は、中世から琵琶湖の湖上特権を確立し、繁栄していた堅田衆の名家、居初(いそめ)家のもので、現在、ご当主居初寅夫氏が一般公開にご尽力されています。この日もご当主自ら解説をいただきました。庭園は琵琶湖と三上山(通称近江富士)を借景とする国指定名勝庭園です。
ヨシ葺き入母屋造の茶室は千利休の孫千宗旦の四天王の一人である藤村庸軒とその弟子で堅田郷士北村幽安の合作で、天和元年(1681)頃に完成しました。中には海北友松作といわれる障子の腰板に描かれた花鳥画や室町時代の袈裟型の手水鉢など見るものがたくさんあります。
この茶室から見る庭園は絶景であり、近世多くの文人墨客がここを訪れたといわれています。
初夏のひと時、堅田の名勝庭園で湖国の風流を楽しむのも良いものです。
成安造形大学附属近江学研究所研究員 加藤賢治
今日は大津から足をのばして、今NHK大河ドラマで話題の浅井三姉妹の史跡を訪ねてきました。
はじめに米原町柏原宿近くの清瀧集落にある近江源氏佐々木京極家の菩提寺清瀧寺徳源院を訪ねました。
ここは浅井三姉妹の次女初(はつ)が嫁いだ京極家代々の墓があることで有名です。
位の高い人の墓石である宝筐印塔がこれほど多く集まっているのは全国でも珍しいとのこと。
初(はつ)が嫁いだ大津城主京極高次の墓もありました。
徳源院を後にして、「江・浅井三姉妹博覧会」を開催している小谷城趾を目指しました。
姉川の古戦場を過ぎ、小谷城の手前にある「浅井・江のドラマ館」に入りました。
場内は多くの観覧者で中々前に進めない状態でしたが、大河ドラマの解説が解りやすく展示されており、大河ファンにはたまらない施設だと感じました。
続いて小谷城趾を目指しました。
登り口近くの有料駐車場は満車寸前。少し離れますが無料駐車場に車を止め小谷城本丸を目指しました。
桜の馬場と呼ばれる史跡では、ドラマでお市と三姉妹が竹生島と琵琶湖眺めるシーンと同じ風景を見ることが出来ました。感激です!
本丸の手前には浅井長政をはじめとする小谷城の攻防で戦死した武将を供養する供養塔がありました。
約500年程前の出来事ですが、今その場所にたつとその時がついこの前のことのように不思議と短く感じました。戦国の世をたくましく生き抜いた三姉妹。大河ドラマの楽しみがまた一つ増えました。
成安造形大学附属近江学研究所 研究員 加藤賢治
上仰木の江若バスのバス停から徒歩1分のカフェ&ギャラリー「キマッシ」に行ってきました。
仰木の古民家を改築したカフェは昭和レトロを意識した内装で、ちょっと昔の骨董品であふれています。
かつては縁側であった大きな窓からは仰木の棚田や遠くは琵琶湖や三上山を眺めることができます。
店内には手作りパンを販売するコーナーもあります。
メニューは飲み物が中心ですがカレーや丼など趣向を凝らした軽食も用意されています。ゆっくりと時間がながれ、店内のお客さんはおしゃべりする人、本を読む人それぞれのスタイルでくつろげます。
今日は午後のひと時、頭を空にして来年度の楽しい計画の構想を練ってきました。
営業時間 土日祝(平日休み)12:00〜18:30 駐車場有り
URL: http://kimassi.main.jp/
成安造形大学附属近江学研究所研究員 加藤賢治
6月12日(土)、仰木小椋神社境内にて岩見神楽が奉納されました。これは仰木を舞台に撮影された映画「虹の峠」のスタッフと島根県浜田市の岩見神楽保存会「若林神楽社中」様との関わりで実現したとのことで、当日は仰木地区を核に様々なかたちで地域貢献活動を行っている地蔵プロジェクトのスタッフとともに神楽上演会が運営されました。
好天に恵まれたこともあり、境内は多くの見学者で埋まりました。午前10時、仰木太鼓保存会による太鼓をバックに関係者が拝殿に登り、小椋神社の宮司さんが祝詞を奏上、関係者が玉串を奉納し上演会(神楽奉納)が始まりました。
先ず神を迎える儀式である「塩祓」という演目から始まり、「恵比寿」「大蛇」と続いて二演目が上演されました。
「恵比寿」は滑稽な舞で、軽快なリズムで恵比寿が鯛を釣上げる行為を楽しく表現され、途中にお菓子やお餅がまかれ、子供たちもふくめ盛り上がりました。
また、日本神話に基づいた「大蛇(おろち)」は岩見神楽の代表的な舞で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)をスサノオノミコトが退治する様を凄まじい迫力で演舞するものです。煙をはきながらとぐろを巻く大蛇をスサノオが大剣で退治するシーンは迫力満点でした。
岩見神楽は室町時代に始まったと言われ、神事として行われる神楽が徐々に民間に支持され、現在では多くの民間団体によって保存継承されているという無形民俗文化財です。全国各地にはいわゆる神社の祭礼で行われる「神楽舞」が様々に継承されていますが、岩見神楽は滑稽な演目だけでなく能や狂言、歌舞伎などの伝統芸能を継承しており、大衆が支える非常に芸術性の高い民俗芸能であるといえます。
100以上の民間団体が今もなお工夫を凝らして変化させながらこの神楽を継承されているということです。
初夏の休日、地域文化の結晶を仰木の地で見学させていただきました。関係各位に感謝申しあげます。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治
JR安土駅を繖(きぬがさ)山方面へ向かって左に安土城趾を見ながら20分ほど歩くと桑實寺への登り口につきます。桑實寺の開山は古く天智天皇にさかのぼります。天智天皇の第4皇女阿閇(あべ)姫が疫病にかかったとき、病床で琵琶湖に瑠璃の光が輝く夢を見られたということで、天皇が当寺を開山した定恵和尚に命じて法会を開かせると湖中より生身の薬師如来が現れ大光明がさしたといわれています。この話は天文元年(1532)に足利12代将軍義晴の命で宮廷絵師の土佐光茂が絵巻物『桑實寺縁起絵巻』に仕立て上げ、現在国の重要文化財に指定されています。
その12代将軍足利義晴は戦乱続く京都を離れ、観音寺城の佐々木氏を頼って3年間この桑實寺に仮の幕府を置いたそうです。また、時代が下って織田信長は永禄11年(1568)近江侵攻の中で観音寺城の六角佐々木氏を滅ぼし、足利義昭(この年に15代将軍となる)をこの桑實寺に迎え入れました。
今は山腹にある静かな山寺ですが、中世末期には政治の中枢にあった大寺院であったようです。
山裾から山寺らしい石段が山頂へと向かって続き、その途中に山門があり、まだまだ続く石段をのぼるとようやく本堂へ。本堂は国の重要文化財で単層入母屋造の檜皮葺、優美な天台様式です。ご本尊は薬師如来で「かま薬師」の俗称があり、できものに霊験があると言い伝えられているそうです。桑實寺が創建された年が寅年であったことから虎との縁が深く、本堂内部の外陣には狩野派の絵師が描いた虎の衝立が2つ展示してありました。
1日にどれくらいの人たちが訪れるのでしょうか。このように山里深く入り込んだ静謐な山寺が天智天皇の白鳳年間に創建され、中世には足利将軍が幕府を置いたという歴史を持つと聞くと、近江国の歴史の深さをあらためて感じました。
帰り道、長い石段を降りていますと、その真正面に冬枯れの湖東平野に三上山が見え、寅年の新年を清々しく迎える心地になりました。
加藤賢治(近江学研究所研究員)