日時:2015年7月11日(土)10:40~12:10
場所:成安造形大学 聚英館3階 聚英ホール
講師:太田浩司氏(長浜城歴史博物館館長)
タイトル:「小堀遠州-その生涯と芸術性」
今日は会員限定講座の第2回目「小堀遠州 その生涯と芸術性」と題し、長浜城歴史博物館 太田浩司館長にご登壇いただきました。
茶人、庭の作庭で有名な小堀遠州(現在の長浜市小堀町生まれ)ですが、文化人というのは一面に過ぎず、今で言う政府の官僚で、公人であった。
その中でお城や将軍宿泊用御殿など幕府の作事奉行(建築)や普請奉行(土木)を務め、その建物はもちろん作庭の陣頭指揮をとった。
寛永十一年(1634)には幕府ナンバー2の立場にあり、京都伏見に居を構えながら江戸へ参上するなど多忙を極めた中で、さまざまな幕府の官僚業務を担い、その目利きが養われまた評価されたのではないか。
庭師や茶人ではなく官僚としての小堀遠州の本来の姿を太田先生ならではの視点で多くの資料をもとに詳しく説明をしていただきました。
さることながら小堀遠州の庭は自然の中に人工的な直線や曲線の美を見事に配し、西洋的な造園方法を日本の庭園に導入したことが顕著であり、全国にあまたある小堀遠州作の庭には遠州好み、伝遠州作であることは否めないが、岡山県高梁市の頼久寺の小堀遠州作「禅院式枯山水蓬莱庭園は見事であると紹介いただきました。
是非、みな様もお足を運んでみてはいかがでしょうか。
(報告:前阪良洋)
講演内容:
小堀遠州は一般には茶人として知られるが、その姿は実に多彩です。彼が活躍した江戸初期は、大規模城郭建造ラッシュの時代と言えるが、その多くに普請・作事奉行として関わり、建物に付属する庭園の設計指導も行いました。さらに、幕府の行政官として国奉行・伏見奉行・上方郡代・直轄領代官などを歴任、備中国(岡山県)や畿内近国の支配、その地で起きる様々な訴訟を裁いていました。本講座は、遠州がこの多忙な生活の中で、「綺麗さび」と言われる芸術的センスを、如何に磨いていったかを考えます。
講師プロフィール:
1961年東京都生れ。明治大学大学院文学研究科修士課程修了(史学専攻)。1986年市立長浜城歴史博物館へ就職。以来、一貫して湖北・長浜の歴史研究に取り組む。現在、長浜市長浜城歴史博物館館長。著書『テクノクラート小堀遠州』『近江が生んだ武将石田三成』ほか。