講師:加藤賢治 (近江学研究所学内研究員)
日時:2009年7月25日(土)
場所:大津市堅田地区
新型インフルエンザの休講により延期されていましたフィールドワークを7月25日(土)に実施しました。
この回の授業は本学の学生さんと聴講生のみの限定講座として開講し、近江学研究所研究員の加藤が案内、解説をさせていただきました。
50名というたくさんの参加者でスタートしましたが、時折夕立のような激しい雨に見舞われるという悪天候になってしまい、予定を多少変更しながら進めました。JR堅田駅に午前10時に集合し、駅前の志賀廼家淡海(しがのやたんかい)の顕彰碑→コジャックビル→日本基督教団堅田教会→浮御堂(満月寺)→光徳寺→祥瑞寺を巡って堅田駅に午後1時解散しました。
浮御堂(満月寺)では恵心僧都源信が琵琶湖にさまよう魂を鎮めるため比叡山横川を降ってこの地にたどり着き、千躰の阿弥陀仏を安置したという創建にまつわる伝承と、江戸時代、この地に浮ぶ満月をこよなく愛した松尾芭蕉の名句を解説しました。
光徳寺では浄土真宗開祖親鸞聖人の御真影を取り戻すため、自ら父親に自分の首を切り落とすよう説得し、殉教した堅田源兵衛の伝承と浄土真宗中興の祖と讃えられる蓮如上人の布教活動、また念仏信仰について解説しました。
祥瑞寺ではゆかりの一休宗純の生涯や禅問答を中心とする禅宗の信仰を解説しました。当時22歳の宗純が祥瑞寺の師匠から「洞山三頓の棒」という公案を与えられた時、「有ろじより無ろじに帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と言ってのけ、「一休」という名を授けられたことや、その後、一休がこの堅田の地で悟りを開き、京都に帰って大徳寺第48世となったことなどを紹介しました。
堅田の地は古代・中世・近世にかけて湖上交通の要衝の地であり、多くの人々が行き交いそれにともなって種々の文化が流入しました。よって歴史文化史上重要な人物がこの地を訪れ、多くの伝承がここに残されています。参加の学生たちは荒天の中でしたが、ここでまた新たな発見をしてくれたと確信しています。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治