連続公開講座「近江~風景のかたちー心象絵図ー」開講しました

2011年7月9日

講座名 『近江~風景のかたち―心象絵図―』
日 時 平成23年7月9日(土) 10:40~12:00
場 所 成安造形大学 聚英ホール
講 師 上田洋平氏(滋賀県立大学地域づくり調査研究センター研究員)
対 談 永江弘之

好評をいただいております今年度の連続公開講座「近江のかたちを明日につなぐ」シリーズ4回目となりました今回(7月9日)は滋賀県立大学地域づくり教育研究センター研究員の上田洋平先生をお招きして、心象絵図についてお話しいただきました。
基調講演は2008年に上田先生と本学の学生さんが共に取り組みをさせていただきました「南比良ふるさと絵屏風」について絵解きをしていただくかたちで始まりました。
この絵屏風は地域のお年寄りを中心に聞き取りをして、特に印象に残った大切なものを丁寧に描き込んでいくというもので、50年〜60年、70年くらいの少し昔の懐かしい人々の暮らしがとけ込んでいます。
講座の中で上田先生は、この取り組みは単に懐かしいものを描くだけのものではなく、聞き取りをすることや、完成した絵屏風をみんなで見ながら会話をするなど、お年寄り同士やお年寄りと次世代を担う人々とのコミュニケーションの機会となる大変重要なプロジェクトであるとその意義を強調されました。
後半は近江学研究所研究員の永江弘之先生が聞き手となり、記録と記憶の違いや体験したものを思い出しそれを表現するというこの絵屏風の魅力について問いかけられました。上田先生はかつて体験した自分にとって忘れることのできない大切な物事、すなわち過去の記憶を引き出し、お年寄りがそのことを共有して交流するということは本人たちにとっても地域にとっても有意義なことであり、未来の社会のあり方を考えるヒントにもなると語られました。
人間は入ってきた情報のほとんどをどんどん忘れていきます。逆に今記憶に残っているということは大変大切なことであるということが言えます。その大切が詰まった絵屏風。やさしい語り口調で解説いただき、150名を越えるたくさんの参加者の皆さんは上田先生から大切なものをいただかれたのでは・・・。
報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

建築学生ワークショップ滋賀2011に参加しました!

2011年7月5日

全国の環境デザインや建築家を志す学生たちが琵琶湖竹生島に集結するという「建築学生ワークショップ2011」の現地見学会が7月2日竹生島で行われ、参加してきました。
この企画は地域滞在型(合宿)で行われるワークショップで、現地に数日滞在して、斬新でありながらその空間にとけ込んだ建築デザインによる構造物を制作するというものです。9月6日(火)から12日(月)の6泊7日、竹生島を舞台に制作される予定になっています。
7月2日はその現地見学会が行われ、本学の空間デザイン領域の学生さん2人を含む約40名が参加されました。
主催者であるAAF(建築学生ワークショップ実行委員会)から近江学研究所に依頼があり、琵琶湖汽船のエコクルーズ船megumiの船上にて竹生島の弁才天信仰と琵琶湖の呼称の由来に付いて解説してきました。
参加した学生さんたちのほとんどが琵琶湖のクルージングははじめて。
全国から集まった学生さんたちが竹生島を舞台に大学の垣根を越えて取り組むこの企画は、滋賀県にとっても、学生さんたちにとっても、主催者や協力者の地元の方々にとっても非常に意義のあるものと感じました。

報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

学芸員課程一泊現地研修が行われました!

2011年7月4日

7月2日(土)、3日(日)美術館・博物館の学芸員を目指す学芸員課程3年生約30名対象の一泊研修が行われました。恒例となったこの研修はこれで8年目となります。県内に散らばる幅広い時代の文化財を「本物を見る」というコンセプトで見学するという非常に有意義な研修です。
三井寺の非公開の建築物や襖絵、彦根城博物館の近世日本美術、長浜のガラス工芸、長浜曳山博物館の曳山展示、国宝の湖北十一面観音など琵琶湖を一周するかたちで巡りました。
引率には学芸員課程担当の辻喜代治先生、小嵜善通先生(ともに近江学研究所研究員)と担当職員があたり、近江学研究所の木村至宏所長と同研究員の私がゲスト解説者としてお手伝いしました。
天候にも恵まれ、2日間ハードなスケジュールでしたが、文化財資料集を片手に各年代の様々な形態の文化財をじっくり観察し、熱心にメモを撮る学生さんの姿が印象的でした。

報告:近江学研究所研究員 加藤賢治

近江歴史回廊大学の授業を担当しました!

2011年5月25日

坂本公民館

坂本公民館

東照宮

東照宮

5月21日(土)、坂本公民館2階大会議室で第13回近江歴史回廊大学「近江の歴史を築いた人々」クラスの授業を行いました。
この日はこのクラスの2日目の授業日で、私は3時間目の授業を担当しました。内容は坂本周辺のフィールドワークです。
はじめ30分程度プロジェクターで坂本周辺の歴史スポットの紹介とその背景にある宗教民俗を解説しました。その後、屋外へ出て慈眼大師天海大僧正が建立した滋賀院門跡、その墓所である慈眼堂、近江出身の幕府お抱えの大工の棟梁甲良宗広が日光東照宮の試作品として建設したといわれる日吉東照宮を見学しました。
この授業は天海大僧正にスポットを当て、信長によって壊滅的な打撃を受けた比叡山延暦寺を家康の腹心として復興に務めたことや家康の死後東照大権現として日光東照宮を建設した偉業などを中心に解説しながら天海ゆかりの遺跡を巡りました。
この日は初夏の蒸し暑さもありましたが、30名の熱心な受講生の皆さんは最後まで熱心に勉強されていました。

報告:附属近江学研究所 研究員 加藤賢治

堅田居初氏庭園と「天然図画亭」を見学してきました。

2011年5月24日

5月14日(土)、堅田の国指定名勝庭園と茶室「天然図画亭(てんねんずえてい)」を見学してきました。
この庭園と茶室は、中世から琵琶湖の湖上特権を確立し、繁栄していた堅田衆の名家、居初(いそめ)家のもので、現在、ご当主居初寅夫氏が一般公開にご尽力されています。この日もご当主自ら解説をいただきました。庭園は琵琶湖と三上山(通称近江富士)を借景とする国指定名勝庭園です。
ヨシ葺き入母屋造の茶室は千利休の孫千宗旦の四天王の一人である藤村庸軒とその弟子で堅田郷士北村幽安の合作で、天和元年(1681)頃に完成しました。中には海北友松作といわれる障子の腰板に描かれた花鳥画や室町時代の袈裟型の手水鉢など見るものがたくさんあります。
この茶室から見る庭園は絶景であり、近世多くの文人墨客がここを訪れたといわれています。
初夏のひと時、堅田の名勝庭園で湖国の風流を楽しむのも良いものです。

成安造形大学附属近江学研究所研究員 加藤賢治

近江学研究所研究プロジェクト 仰木祭りを見学しました!

2011年5月3日

5月3日は仰木祭り本祭の日です。比叡山の麓であるという土地柄、祭りの縁起には歴史的に深い背景があります。
平安時代の半ば、摂津多田庄を本拠とする清和源氏発展の基礎をつくった源満仲が比叡山横川(よかわ)の高僧恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)を頼って、仰木に10年間住んだといわれています。村人は満仲公を敬慕して大切にしました。やがて満仲公は仰木を去りますが、上仰木、辻ヶ下、平尾、下仰木と四ヶ村に別れ水争いが絶えないことを憂い、年に1回雨乞いの祭礼を行うことで四ヶ村が力を合わせ仲良く暮すようにと言い残したと言われています。
これが祭りの始まりとなりました。
祭りの行事の中には、満仲公が馬に乗って登場し、「芝座敷」や「馬止め」など満仲公ゆかりの祭事も行われます。
今年、近江学研究所は研究プロジェクトの2年目として、仰木に残された少し昔の暮らしを聞き取り、「仰木ふるさとカルタ」というカルタをつくろうと計画しています。研究担当は永江弘之研究員が主担で近江学研究所から大岩剛一研究員、事務局大原歩さんと私加藤が加わっています。
このプロジェクトの研究補助員として学生募集しましたとろ約10名の学生さんが登録してくれました。
これらの学生さんと、映像の実習課題として見学する映像放送コースの櫻井先生と6名の学生さんなどが加わり祭りを見学しました。

午後1時45分におごと温泉駅に集合。路線バスと徒歩で仰木へ。源満仲公の邸宅跡である「御所の山」で歴史レクチャーを私が行いました。
いよいよ、祭り本番。雄琴の千野集落も加わり、5基の御神輿が祭礼の中心である小椋神社を出発しました。
クライマックスは村を出て行こうとする満仲公を引き止めるという故事に因んだ「馬止め」、そして颯爽と馬が駆け抜ける流鏑馬が行われました。
午後8時、たいまつの明かりで神輿が小椋神社に帰ってきますと祭りは終了。12人の村の長老が提灯をもって御神輿を迎えました。
学生さんたちはここまで見学をしました。仰木を知る。昔の暮らしを知る。このお祭りを通して何かをつかんでくれたことと思います。

報告:附属近江学研究所 研究員 加藤賢治

馬見岡神社の宮座の祭礼を見学しました!

2011年5月2日

5月2日、近江国は宮座の宝庫と呼ばれています。宮座とはいわゆる村の鎮守の神様を守る人々の祭礼のことで、著名な神社仏閣の宗教行事とは異なります。
一つの村や複数の村が鎮守社を順番に当番を設けて祭礼を行います。そのかたちはそれぞれの村によって微妙にあるいは大きく異なりますが、滋賀県にはこのような祭礼が多く残っていることで知られています。
その代表的な事例の一つが馬見岡神社の祭礼で、近江八幡市の国道8号線沿いにある馬淵、千僧供、岩倉の3つの集落の郷祭です。
祭礼は4月末からすでに始まっていますが、5月2日は早朝5時から鐘と太鼓が鳴り始め、5時半には裃をまとった3集落の大人衆が馬見岡神社に集結、神事が行われました。
6時半には近くの椿神社に移り、同じく神事が行われました。この祭礼は農耕に深く関係し、椿神社の楼門の前には馬淵、千僧供、岩倉の水利権「4分・4分・2分(しぶしぶのにぶ)」を標示する敷石が設置され、村人はその敷石の間を歩くことでその水利の割合を確認するということです。
5月、近江は春祭りのピークです。明日はいよいよ地元仰木祭りの本祭の日です!楽しみです。

報告:附属近江学研究所 研究員 加藤賢治

5年に一度の祭礼 油日神社『奴振り』見学しました!

2011年5月1日

5月1日、甲賀市の油日神社で5年に一度行われる祭礼『奴振り(やっこぶり)』を見学してきました。
『奴振り』は参勤交代の大名行列で奴たちが個性的な歩き方をして見物者を魅了したことに由来し、日本全国各地の祭礼で演じられています。滋賀県でも各地で行われており、油日神社の『奴振り』は県選択無形民俗文化財に指定されています。
油日の奴振りは祭主である頭殿(とうどう)が油日神社に参内する時に従うお供の行列が原型になっており、当時地元で勢力を誇った上野、高野、相模、佐治、岩室の五氏の参内の様子がこの祭りの始まりであるといわれています。
室町時代に現在のかたちになり、明治以降は5年に一度行われています。東と西を結ぶ街道にあたるこの地域には、多くの物資と人が行き来し、豊かな文化が栄えました。今回、この『奴振り』を見学してその名残を十分に感じました。
油日神社の近くには櫟野寺(らくやじ)という天台宗の古刹があり、伝教大師が彫刻したと伝えられる十一面観音座像を特別に拝観することができました。
他にもここには約20体の平安期の仏像が収蔵されており、古代から独創的で真似できない高度な文化が根付いていたことを確信しました。

報告:附属近江学研究所 研究員 加藤賢治

金勝(こんぜ)アルプス竜王山に登ってきました

2011年4月29日

草津川の上流、鶏冠(けいかん)山、金勝(こんぜ)山、竜王山と連なる山々は金勝アルプスと呼ばれ親しまれています。その中でも中心となる竜王山に登ってきました。

近江には竜と名の付く山や地名がたくさんありますが、これは農耕と結びついた水の神である竜にまつわる信仰によると考えられています。その代表である竜王山には、かつて栄えた仏教文化の遺物が多く残され、また、山頂付近には風化した奇岩があらゆるところに露出するという神秘的で特異な風景を醸し出しています。用意されています。

魅力たっぷりの登山路は大津市上田上(かみたなかみ)の上桐生のバス停から始まります。
はじめに待ってくれているのが砂防ダムとして明治15年にオランダ人の手によって建設された「オランダ堰堤」。近代建築の遺産として大切に残されています。

次に現れたのが通称「さかさ観音」呼ばれる磨崖仏です。巨岩に彫られた三尊形式の磨崖仏が何らかの力によって壁面がずり落ち逆さの位置で落ち着いたものです。

そこを過ぎ、第二名神高速道路をくぐって山に入っていくと、狛坂廃寺跡に出ます。そこではかなり古い年代を感じさせる堅牢な石垣と、「狛坂磨崖仏」という県内で最も著名な磨崖仏に出会いました。奈良時代に遡る作風であるとされていますが、様相が日本独自のものとは異なり、朝鮮文化の影響を強く持っているため、じっくりとこの磨崖仏に対峙すると、異国の山林に迷い込んだ錯覚に陥りそうです。

そこを後にして、山頂を目指します。徐々に風化した奇岩が見え始め、山頂への分岐点を過ぎると、茶沸観音と呼ばれる岩に刻まれた可愛い石仏と対面しました。そこから山頂までの間に重ね岩と呼ばれる摩訶不思議な自然造形物を見ることが出来ました。

いよいよ山頂です。山頂付近には八大龍王をお祭りする小さな祠があり、この龍王に因んでこの山を竜王山と名付けたと考えられています。

そこから尾根筋を真っ直ぐ歩くと「金勝寺」(こんしょうじ)に至ります。今回はこの奈良時代から伝わる古寺まで足をのばさず、来た道を戻って鶏冠山に繋がる尾根道を早足であるきました。途中に眺められる奇岩・巨岩はかなりのもので、中でも「耳岩」や「天狗岩」は特に大きく、目を引きます。
この日は天候が悪く、帰路についたと同時に雷雨に遭い、ずぶ濡れになりましたが、この日見たものはすべてが新鮮で魅力的でした。おかげさまで調べものが増えました。

成安造形大学附属近江学研究所 研究員 加藤賢治

浅井三姉妹の史跡を訪ねてきました。

2011年3月10日

今日は大津から足をのばして、今NHK大河ドラマで話題の浅井三姉妹の史跡を訪ねてきました。
はじめに米原町柏原宿近くの清瀧集落にある近江源氏佐々木京極家の菩提寺清瀧寺徳源院を訪ねました。

ここは浅井三姉妹の次女初(はつ)が嫁いだ京極家代々の墓があることで有名です。
位の高い人の墓石である宝筐印塔がこれほど多く集まっているのは全国でも珍しいとのこと。
初(はつ)が嫁いだ大津城主京極高次の墓もありました。

徳源院を後にして、「江・浅井三姉妹博覧会」を開催している小谷城趾を目指しました。
姉川の古戦場を過ぎ、小谷城の手前にある「浅井・江のドラマ館」に入りました。
場内は多くの観覧者で中々前に進めない状態でしたが、大河ドラマの解説が解りやすく展示されており、大河ファンにはたまらない施設だと感じました。

続いて小谷城趾を目指しました。
登り口近くの有料駐車場は満車寸前。少し離れますが無料駐車場に車を止め小谷城本丸を目指しました。
桜の馬場と呼ばれる史跡では、ドラマでお市と三姉妹が竹生島と琵琶湖眺めるシーンと同じ風景を見ることが出来ました。感激です!

本丸の手前には浅井長政をはじめとする小谷城の攻防で戦死した武将を供養する供養塔がありました。

約500年程前の出来事ですが、今その場所にたつとその時がついこの前のことのように不思議と短く感じました。戦国の世をたくましく生き抜いた三姉妹。大河ドラマの楽しみがまた一つ増えました。

成安造形大学附属近江学研究所 研究員 加藤賢治